たまきはる命に向かふ我が恋 壱




 

私の全てはあなただけのもの。
 全ては、あなたに捧げるために。






 その日は、やけに暑かった。湿潤で温暖な気候であるナオツ国であるが、ここのところ異常気象が続いており、太陽がぎらぎら輝いていたかと思えば次の瞬間どしゃ降りの豪雨になるといった具合だった。
 ほぼ毎日屋敷から抜け出しては外でじゃれあっているイズサミとカヤナだが、出かけようとした瞬間タイミング悪く大雨が降り出すということがここ三日続き、とうとう四日目、しびれを切らしたカヤナは太陽が見えている間に無理矢理イズサミと外に繰り出した。
 イズサミは、向こう側の空が不安な色を帯びているからやめようと抵抗したのだが、外に出たいと苛々が募っていたカヤナを放っておくこともできず、先に進む勇ましき少女にしぶしぶついていった。自分たちの他に誰もいない花畑は、雨のせいで土がぬかるんでいて、いつも二人が寄り添って座る大樹の下に来るまでに、脚と服の裾は泥だらけになってしまった。しかしカヤナは微塵も気にしていない様子で、大樹の木の根に座ると、泥にまみれて元の色が分からなくなっているサンダルを乱暴に脱ぎ捨てた。

「やれやれ、また空が唸っているな」

 花畑に入ったときから空は重苦しい灰色に変わり、ごろごろと不穏な音を立て始めていた。正直なところイズサミは引き返したくて仕方がなかったのだが、そう口に出せばカヤナに怒られるだろうし、不安定な天候のなか彼女を置き去りにすることもできなかった。
 イズサミはカヤナの隣に座り、はあ、と大きな溜息をついた。

「もう……これじゃあ、いずれ雨に降られちゃうよ」
「いいではないか、どうせすぐ晴れるさ」
「服を濡らしたまま帰れないよ。侍女さんたちに怒られるし」

 もうすでに泥だらけなんだから同じだろうと軽快に笑うカヤナを半眼で睨んでから、イズサミは遠くの空を眺めた。分厚い雲はこちらを目指して空を走っているようで、風は生ぬるく、気温はひどく蒸し暑くて居心地が悪い。外出を後悔していると、不意に鼻の頭に滴があたり、大樹の葉にたまっていた雨が落ちてきたのだろうかと見上げる。その後も次々と水滴が落ちてきたため、雨が降り始めたのだとイズサミは落胆した。みるみるうちに雨脚が強まり、木陰にいるにも関わらず、突風のせいで横殴りの雨が二人を襲う。すさまじい勢いに、イズサミはカヤナを守るために彼女を懐に抱き寄せた。

「もう! やっぱりお屋敷でじっとしてた方がよかったんだよ!」

 豪雨の音がうるさいため、声を張り上げながら文句を吐いたが、それでもカヤナは腕の中でふるふると首を横に振るばかりだった。つくづく頑なな人だ、彼女が小さな部屋に留まり続けられるはずはないと分かってはいるが、ときどき変に意地になるのには、彼女に仕えている人々も相当苦労しているのだろうと同情するのだった。
 雨は、すぐに止んだ。ぽたりぽたりという木の葉からこぼれる雨の滴の音だけを残して、空は先ほどの嵐が嘘のように青色に晴れ渡った。カヤナが楽しそうに太陽の下に躍り出て、急に衣服を脱ぎ始めたのを目撃し、イズサミはぎょっとした。

「カヤナ! 何してるの」
「服がずぶ濡れではないか。こんなものを着ているのは気持ち悪くて重い」

 瞬く間に彼女は上半身をはだけさせ、きらめく光の中に白い肌を露わにした。腰から下は帯で止めている衣があるため露出はしなかったが、遮りを失ったふくよかな二つのふくらみがこちらを向いたので、イズサミは反射的に顔をそむけた。

「服を着て!」
「どうして。気持ち悪いって言っただろう」

 しまいにはこちらに近づいてくる。自由奔放な女性に呆れ果て、イズサミは頭を抱えた。カヤナは木の根元に再び座り込み、なんということはない口調で言ってのけた。

「裸になるのは気分がいいだろ?」
「カヤナ……」

 顔を伏せたまま、低い声で唸る。

「ボクさ、一応、男なんだよね……」
「? なぜ当たり前のことを言う?」
「そうじゃなくて、少しは恥ずかしがって欲しいんだけど」

 お前の前で? カヤナは可笑しそうに笑い声を上げた。このときばかりは彼女の無邪気さに腹が立ち、かまわずカヤナを振り返ると、その両肩を少し強い力で両手で押さえた。驚いた二つのまるい目が凝視してくる。

「イズサミ?」
「カヤナ」

 美しい形をした乳房の白さが、目に痛いほどだった。

「ボクは、君を好きでいるんだ」

 イズサミはカヤナを引き寄せると、その素の背中に両手を這わせた。湿っているなめらかな肌は吸い付くようで、どこか恍惚した気持ちを抱く。一方のカヤナは素肌を触られたことに瞠目したらしく、くすぐったそうに背中をそらしながら男の名を呼んだ。

「イズサミっ、何を」

 ああ、このまま彼女を抱いてしまえたら――今まではっきりとそう考えたことはなかったが、愛しい女性の美しい身体が腕の中にあると自覚した瞬間、猛烈な欲望が己の内に目覚めたのが分かった。手のひらを背中から腰にかけて這わせると、彼女の口からなんとも言えない声が出て、より強い力でその華奢な身体を引き寄せた。

「カヤナは、別の誰かの前でも同じことをするの?」

 小さな怒りを込めながら、耳元で呟く。カヤナが身をこわばらせるのが伝わってきて、イズサミはうっすら苦笑した。カヤナはまごついた後、今度は自分の姿を隠したいかのようにイズサミに強く身を寄せてきた。引きはがせないようにするためか、両腕を背中に回してくる。

「しない」

 ぼそりと言われた一言に、イズサミは喉の奥でくつくつと笑った。

「本当? でも、カヤナは人の前でも全然恥ずかしがらないじゃない。ボクの前でなくても、きっと同じことをしてしまえるんだよね?」
「そ、それは……侍女の前ではするけど……でも、男の前では……」
「そう。ボクはカヤナにとって男じゃないんだね……」

 悲しみを込めて言ってやると、カヤナはかなり慌てたらしく、懐で「ちがう」と首を横に振った。じゃあ何なの?と問うが、カヤナは沈黙したまま微動だにしない。根気強く待つうちに諦めたのか、彼女はおずおずとイズサミの首元に頭を寄せた。

「私にとっての"男"は、お前だけだよ」

 いつものカヤナらしからぬ弱気な声音に、たまらず彼女の肩を掴んで身体を引き離した。途端にカヤナはうつむき、両手でまっさらな胸元を隠そうとする。その仕草に眩暈がして、イズサミは自分でも知らないうちに彼女を木の幹に押し付けていた。ぎゅっと目をつむるカヤナの頬に手のひらを当て、それを徐々に首から鎖骨に滑らせて乳房を隠す手の甲の上に自分の手を重ねると、カヤナは身を震わせた。顔が赤くなっているのを見て、イズサミはふふと笑みを漏らす。

「恥ずかしいでしょ?」
「……」
「恥ずかしがってくれないと、ボク、男としての自分に自信がなくなっちゃうよ」

 だからカヤナ、せめてボクの前では女の子でいて。
 囁きにカヤナはうろたえ、その場から咄嗟に立ち上がろうとするのをイズサミは無理に抑えた。両手首を木の幹に押し付けると、柔らかな胸が剥き出しのまま男の前にさらされる。黒髪から滴り落ちる雨が白い肌の上に流線を作っているのが、ひどく妖艶だった。
 イズサミは、カヤナの顔に自分の顔を近づけた。彼女が目をしばたたかせてこちらを見る。安心させるために微笑むと、カヤナは少しすねたような表情を浮かべたが、イズサミがかまわず唇を重ねたことに、そしてそれが少しずつ深くなっていったことに、彼女は抵抗しなかった。